石岡ショウエイBlog『猫まみれ涙娘。』

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石岡ショウエイ漫画Blog:猫まみれ涙娘。

作家の端くれが、漫画やイラストで、エンタメ寄りの記事を書いております。

漫画家と小説家の違い/顔をさらすか、隠すのか

漫画家×小説家

 前回、漫画家としての私は、顔出しNGだったことについて述べた。

 

 体調を崩し、漫画家としての活動に限界を感じたため、私は小説を書きはじめた。

 運良く新人賞をいただいた。そして出版するにあたって、いくつかの取材を受けることになる。

 

 当然のごとく、記者はカメラマンを同伴していた。私は覚悟を決めていたので、シャッター音が鳴るなか、記者の質問にこたえた。

 

 かなりいやいやだったが、その感情を表にださないよう、満面の笑みを浮かべて饒舌に(のつもりでいながら、実際にはしどろもどろになりながら)、語った。

 漫画家ではなく、小説家なんだから、とみずからに言い聞かせながら。 

 

 

漫画家だったのに堂々と顔をさらした理由

 文字だけの情報では、読者へのアピール力が弱い。

 記事に目を通した読者に、「だれがしゃべっているか」を認識してもらわなくては、記憶にとどめてもらえない。そう考えた。

 

 漫画ならば、それは必要ない。

 記事には大概、書影(単行本の表紙)が掲載されていて、そこにはキャラクターが描かれている。

 そのキャラクターがインタビューにこたえているわけではないが、読者の脳内には、文字だけでなく映像も残る。

 

     * 

 

 小説家のインタビューでも、作者近影ではなく、書影が掲載されていることはよくあるが、小説の表紙には、かならずしも人物が描かれているわけではない。

 風景だったり、抽象的なものだったり。

 

 小説を書く側からすれば、作中の登場人物のビジュアルは、読者に自分好みのルックスで想像してもらいたいため、あまり具体的な人物の顔を表紙に載せたくはない。

(ライトノベルは事情がことなるが)

 

 ここを訪れてくださる方々は、ほかにもさまざまなブログを読んでいらっしゃるだう。

 私もよく見ている。

 個人的には、ブログの作者プロフィールやヘッダーに、作者に似ているかどうかはべつとして、人物らしきものの画像があるのとないのとでは、訴えるものの強さに違いがあると感じる。

 

 もちろん、小説家でも、姿を公表していない方はいらっしゃる。それはそれでミステリアスなブランディング効果もあると思うが、私レベルの作家では積極的に宣伝に協力せねばならず、姿を隠していては、PR力の弱さを露呈してしまう。

 

 

漫画家と小説家、共通点と違い 

 要は、作家という職業にはアイコンが必要であり、漫画家の場合はその役割を自前のキャラクターが担当してくれるが、小説家の場合はそれが難しいため、基本的には作者自身が表にでる必要がでてくる、ということだ。

 

 漫画はシリーズとしてつづく作品が多いため、作品ごとにファンがつく傾向が強いが、小説は一冊で完結するものが多く、結果的に、作者にファンがつく傾向が強くなる。とすると、読者にアイコンを提供する必要性はいっそう強く感じられる。

 

 

本音をいえば、でたくなんかない 

 小説は小説でもライトノベルは、表紙にキャラクターが描かれていることが必須であるため、筆者のアイコンの役目は、漫画家とおなじく、キャラが担当しているのかもしれない。

 

 が、あれは文章の筆者が描いたものではないので、複雑な感情もわく。筆者が男性で表紙が女の子、なんてのが多いため、イメージが脳内でねじれる感じもある。

 

(私の考える「筆者のアイコン」とは、「著者の真の姿」を意味しているわけではない。なんでもいいからイメージする画像が必要、できれば人物、ということである。念のため)

 

 ブログも、やはり文字が主体のメディアであるため、アイコンは重要だと考える。ということで、新しいアイコンを描き下ろしたのだ。

 

 なんだか理屈ばかりこねるクソまじめな話に終始してしまった。

 楽しいものを心がけるつもりなのに。サービス精神が足りん、すみません!

 

 ああ、そういえば、漫画家か小説家かも明かせないが、著者近影写真を、まったくの別人にしている作家が存在する。

 その手があったか! いや、ズルくないか?

 いまからでも、せめてこのブログのアイコンはジャニーズレベルの美少年にでもしておこうか……。

 

 

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