石岡ショウエイBlog『猫まみれ涙娘。』

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石岡ショウエイ漫画Blog:猫まみれ涙娘。

作家の端くれが、漫画やイラストで、エンタメ寄りの記事を書いております。

洋画の日本版タイトル問題、映画50作品の邦題レビュー/ダサい?

 「日本の漫画の英語版タイトル」についてまとめたら、その逆、「海外の作品の日本語版タイトル」についても、まとめたくなった。
 
 とはいえ、漫画は日本が本場なので、海外の作品で認知度が高いのは、アメコミくらいしかない。
 作品数が多いジャンルでいきたい。であるなら、やはり映画だろう。
 ということで、アメリカ映画の邦題について書いてみる。

 

 私が、洋画の日本版タイトルについて意識するようになったきっかけは、『フラッド』(1998年)という映画だ。大部分が水没した街を舞台にしたアクション寄りの作品。

 当時はパニック映画が流行っていて、これもそのうちのひとつのような宣伝をしていた。

 

 が、映画館に入って見始めると、タイトルとしてスクリーンに表示されたのは、『Hard Rain』という文字であった。

「フラッド」が英単語だから、てっきり原題も『Flood』だと思っていたら、そうではなかったのである。

 
「Flood」(洪水)と「Hard Rain」(大雨)では、イメージする絵がぜんぜん違う。
 原題のままだったなら、私は映画館まで行かなかっただろう。
 訳者もそう考え、あえて別の英語タイトルにしたのだ。
 
 結果として、まんまとしてやられた。「Flood」というほど、水の驚異は描かれていなかった。タイトルは、重要である。
 
 
 現在は、日本人にとって英語がなじみ深くなってきたこともあってか、英語のタイトルをそのままカタカナにするだけで日本版タイトルとしている作品が多い。
 制作元が、かってな邦題をつけることを禁じる例もあるという。
 それはすこし残念ではある。映画史に残る過去の名作を見ると、だいたい、邦題がついていたものだ。

 

 

 アメリカ映画の日本版タイトルまとめ、50選+α

まずは古典から、語感が気持ちよい映画を四点

(本記事における年数表記は、日本で公開された年を示す)

 

『Gone with the wind』
(ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド)

   ↓

『風と共に去りぬ』(1952年)

 タイトルを見ただけで、鑑賞後の余韻を察することができる。文学的な香りの漂う、美しい邦題。

(そもそもが、英国の詩人アーネスト・ダウスンの詩から引用したタイトルである)

 

 

◆『The Great Escape

(ザ・グレート・エスケープ)

   ↓

『大脱走』(1963年)

 現代ならそのまま「グレート・エスケープ」で公開されるかも。
 スタローンとシュワルツェネッガーによる2013年の共演作は原題が『Escape Plan(エスケープ・プラン)であったが、邦題は『大脱出とされた。『大脱走』をもじっているのだろう。
 
 
◆『Bonnie and Clyde』
(ボビー・アンド・クライド)
   ↓

◆『俺たちに明日はない』(1968年)

 アメリカでは知らぬ者はいない人物名だからこの原題なのだが、日本では知名度を考慮する必要があったのだろう。
 破滅を予感させる、気になるタイトルだ。
 アメリカ映画は、主人公の名前をそのままタイトルにしている作品が多い。自由な解釈の余地を与えない意図があるのかもしれないが、面白さを伝える気がないのかと感じることもある。
 
 
◆『Close Encounters of the Third Kind』
(クロース・エンカウンターズ・オブ・ザ・サード・カインド)
   ↓
◆『未知との遭遇』(1978年)
 公式の直訳は、「第三種接近遭遇」
 原題は長すぎる。そして固い。
 邦題には柔らかさがある。「未知」という単語によって好奇をそそられる。
 

     * 

 

 日本の映画市場の半分は洋画である。より多くの観客を迎えるために、どんなタイトルにすればいいか、配給会社の人間はあれこれ頭をひねっている。
 結果として、いいのもあれば、イマイチのものも生まれている。順番に見ていくとしよう。
 
 (B級映画にはトンデモな邦題がたくさんあるのだが、それらは始めからウケ狙いであることがみえみえで興ざめなので、今回の記事ではふれない。
電車男ブームに乗っかろうと、公開時は『バス男』なんて邦題にされた『Napoleon Dynamite』(ナポレオンダイナマイト)とかはスルーの構え)
 
 

邦題を評価したい映画

◆『The Shawshank Redemption』

(ザ・ショーシャンク・リデンプション)

   ↓
◆『ショーシャンクの空に』(1995年) 
 直訳は、「ショーシャンクの贖罪」であるが、「リデンプション」には「贖罪」の他に「取り戻す」という意味があり、結末を予感させるものとなっているが、日本人にはわかりづらい。
 
 刑務所という、空の見えない閉鎖的な環境に置かれる主人公にあえて「空」という単語を与えることで、ポジティブな物語であることが察せられる。
 日本ではベスト映画に挙げる者も多い作品だが、本国アメリカでは、評価されるまでに時間がかかったそう。それもまた、この映画にふさわしい境遇のような気がして面白い。
 
 
◆『Awakenings』
(アウェイクニングス)
   ↓
◆『レナードの朝』(1991年)
 直訳だと、「目覚め」「覚醒」だが、それだとサスペンス的なにおいもしてしまう。「目覚め」を「朝」に置き換えることで、希望を求める物語であると察せられる。
 
 
◆『Boy Hood』
(ボーイ・フッド)
   ↓
◆『6才のボクが、大人になるまで。』(2014年)
 直訳だと「少年時代」。なんとも、もったいない。
 実際に6歳の少年が18歳になるまでを追っているので、それが伝わらないとね。原題は、これでいいのか?
 
 
◆『Being John Malkovich』
(ビーイング・ジョン・マルコビッチ)
   ↓
◆『マルコヴィッチの穴』2000年)
 最高の邦題だと考える。あの珍妙な世界観が、原題「マルコビッチになる」ではほとんど伝わらない。この日本語タイトルを思いついた人に敬意を表したい。
 マイ・ベスト・オブ・邦題!
 
 
 
◆『sister act』
(シスター・アクト)
   ↓
◆『天使にラブソングを』(1992年)
 直訳だと、「修道女の演目」といったところ。
 日本版タイトルはおちゃめな雰囲気がでていて、原題以上に内容をとらえていると感じた。

 

 

◆『Almost Famous』

(オルモスト・フェイマス)

   ↓

◆『あの頃、ペニーレインと』2000年)

 直訳するなら「ブレイク前夜」かな。なんでこのタイトル? 

 さえない青年のさえない恋物語。邦題にはノスタルジーが含まれててしっくりくる。

 

 

◆『The Hunchback of Notre Dame』

(ザ・ハンチバック・オブ・ノートルダム)

   ↓

◆『ノートルダムの鐘』(1996年)

 原題だと「ノートルダムのせむし男」。
 いやあ、それは見ないっす・・・・・・。
 放送コードに引っかかるからの改題。
 
 
◆『First Blood』
(ファースト・ブラッド)
   ↓
◆『ランボー』(1982年)
 直訳は「最初に流された血」、転じて「先手」
 どっちが先に仕掛けたか、というテーマが込められているのだが、日本人には伝わりづらい。
 
 続編からは、日本でのヒットにあやかる意味もあって、向こうでも『Rambo』となった。
 日本側としては、ランボーが「乱暴」という語を連想させてキャッチーだったなんて理由もあったのだが、スタローンは知るよしもない。
 
 
◆『Billy Elliot』
(ビリー・エリオット)
   ↓
◆『リトル・ダンサー』(2001年)
 この邦題しかないでしょう。人物名だでけは、本当にわからん。つらい。『古畑任三郎』くらい、語感からすでに面白いならべつだが。
 
 
◆『The Legend of 1900』
(ザ・レジェンド・オブ・1900 )
   ↓
◆『海の上のピアニスト』
 直接的な訳だと、「1900と呼ばれた男の伝説」。うーん。
 生涯を豪華客船の中で生きた男の物語。邦題のほうが圧倒的に伝わる。美しい絵が浮かぶ。
 この数年後、戦場のピアニストという作品が公開されたが、原題はThe Pianist(ザ・ピアニスト)。シンプルな単語による重みはあるが、やはり、伝わらない。
 
※これはイタリア映画なので、イタリア版タイトルを原題とすべきであった。
『La leggenda del pianista sull'oceano』(海のピアニストの伝説)
「海」をキーワードにした邦題、「伝説」をキーワードにした英題、訳し方にお国柄がでているのかも。
 
 
 
◆『FROZEN』
(フローズン)
   ↓
◆『アナと雪の女王』(2014年)
 原題は、「凍てついた」という物理的な状況と、「冷ややかな」というキャラクターの心情、両方を意味しているのかな。
 女性に絶大な支持を受けた作品。原題だとなかなかきびしいものがある。シチュエーションスリラーのようにも響く。
 日本でのヒットは、邦題がうまかったせいもあるはず。
 
 アニメは子どもを重要なターゲットとしているため、かなりやさしい英単語でないかぎり、邦題をつけるのが得策だろう。
 以下に三例を。「の」がつくのでジブリっぽく感じるのは意図的なのか。
 
『UP』
(アップ)
   ↓
◆『カールじいさんの空飛ぶ家』2009年)
 原題のシンプルさには力強さがあるが、アップ、ではまったくわからない。
 
 
『Tangled』
(タングルド)
   ↓
◆『塔の上のラプンツェル』(2010年)
 元は、からまってる、もつれてる、ってな意味。なじみの薄い単語だ。ラプンツェル、なんて面白い響きの名前を使わずにはいられないだろう。
 
 
『Ratatouille』
(ラタトゥイユ)
   ↓
◆『レミーのおいしいレストラン 』
 元はシンプルすぎる。好奇心をそそる意識がなさすぎて驚く。
 
 
 

カタカナなので原題のままかと思ったら、じつは邦題だった映画

◆『Indiana Jones』
(インディアナ・ジョーンズ)
   ↓
◆『インディ・ジョーンズ』1984年)
 ちょっとした違いだが、キャッチーさはアップしている。
 
 
◆『Inside Out』
(インサイド・アウト)
   ↓

◆『インサイド・ヘッド』(2015年)

  原題「内なる自分を外へ」のままでもいいと思うのだが、「頭ん中」という感じに。メッセージ性は失われたが、キャッチーではある。

 

 

◆『The Martian

(マーティアン)

   ↓

◆『オデッセイ』(2016年)

 直訳だと「火星人」!
 日本人はタコみたいなのを想像してしまうから、変更は不可避だったか。邦題は、古代ギリシャ、ホメロスによる叙事詩のタイトルであり「長期の放浪」を意味する。
 舞台のスケール感は原題よりも伝わる。実際には、壮大なスケールで贈る、わりと小さな話。ゆえにやはり原題を尊重して「火星の人」とすべきだったという意見も多いようだ。
 
 
◆『Gravity』
(グラビティ)
   ↓
◆『ゼロ・グラビティ』2013年)
  これはちょっとした論争になったのを覚えている。原題は「重力」であり、邦題は「無重力」。真逆だ。かなり反論が大きかった気がする。
 
 が、私は邦題を気に入っている。重力空間に復帰するまでの物語だから、ゴールである「重力」をタイトルにするのが正解なのだとは思う。
 しかし、私にとってこの映画の表面的な魅力は、閉鎖的な「無重力」空間にとどまっているという状況からくるシチュエーション・スリラー的要素だった。「無重力」をアピールしてくれたおかげで食指が動いた気がする。
 それにしても、真逆のタイトルをつける度胸はすごい。あっぱれ。怒ってる人のほうが多いけど。
 

◆『Batman v Superman: Dawn of Justice』
(バットマン・ブイ・スーパーマン ドーン・オブ・ジャスティス)
   ↓
◆『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年)
 おなじじゃん、と思った方も多いだろうが、日本版は「vs」であり、原題は「v」である。
 ザック・スナイダー監督はその意図について、「バットマンとスーパーマンがただ対立するだけの映画ではないことを表すため」としている。
 であるなら、共闘に発展してからの勝利、ビクトリーの「v」も含まれているのかも。
 
 
◆『The Hollow Man』
(ザ・ホロウ・マン)
   ↓
◆『インビジブル』(2000年)
 原題のほうが好みだ・・・・・・。
 
 
◆『The Fast and The Furious』
(ザ・ファスト・アンド・ザ・フューリアス)
   ↓
◆『ワイルド・スピード』(2001年)
 この日本版タイトルでばっちりだと思う。
 直訳風だとどうなるんだろ。「速いよ、猛烈に」とか?
 
 
 

かってな邦題がちょっとした問題になりそうだった映画

◆『The Mummy』
(ザ・マミー)
   ↓
◆『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』(1999年)
 原題だと、「ミイラ」。これじゃなかなかヒットは難しい。
 ということで舞台となる都市の名をタイトルにした。
 なんといっても、「ハムナプトラ」という単語の語感のよさよ。声にだしたくなる。ハムナプトラ、ハムナプトラ。なんだか願いが叶いそう。
 
 が、続編のタイトルに問題が生じた。続編は、ハムナプトラが舞台ではないのだ。
 しかしそこは開き直って、『ハムナプトラ2』『ハムナプトラ3』として公開された。
 この作品はトム・クルーズ主演でリブートされることが決まっているが、トムクルーズは、主演を張っていたブレンダン・フレイザーより七つも年上の54歳。どこかで石仮面を発掘したに違いない。
 
 
◆『Metro』
(メトロ)
   ↓
◆『ネゴシエーター』(1997年)
 原題「地下鉄」では弱いのはわかる。交渉人を意味する「ネゴシエーター」としたのも当然の選択。
 が、この翌年、『The Negotiator』(ザ・ネゴシエーター)という原題の作品が公開されてしまった。この作品の邦題を『ネゴシエーター』にはできない。よってこっちの日本版タイトルは交渉人となった。
 映画を向こうのタイトルで呼びたがる方のあいだでは、すこしややこしい扱いの作品である。
 
 
◆『Terminator Salvation: The Future Begins』
(ターミネーター・サルベーション ザ・フューチャー・ビギンズ)
   ↓
◆『ターミネーター4』(2009年)
『ターミネーター3』とは正確にはつながっておらず、向こうでは番外編的な扱いで企画されたのに、日本ではナンバリングタイトルとした。
 当時の私は、このあとに本当の『Terminator4』が作られたら、日本版だけ「ターミネーター5」というタイトルになるのかと、いらぬ心配をしたものだ。
 
 のちにこれは「新三部作」なのだと発表され、であるならこれは「4」「5」「6」のうちの「4」を名乗ってもいいのかもという雰囲気になった。
 
 だが! 興行成績が振るわず、続編はキャンセルされ、まさかのリブート、ゼロからの仕切り直しとなった。
 第5作だがけっして『ターミネーター5』ではない『Terminator Genisys』(ターミネーター・ジェネシス)も「三部作」構想らしいが、はたして6作目と7作目は本当に作られるのか。
 ダダン・ダン・ダダン!
 
 
◆『Under Siege』
(アンダー・シージ)
   ↓
◆『沈黙の戦艦』(1993年)
 原題だと「厳戒令のもと」
 原題を放棄して、当時、流行っていた、かわぐちかいじ先生の漫画『沈黙の艦隊』に乗っかろうとしたのはわかる。続編でもないのに、このつぎの作品に沈黙の要塞とつけて、さもシリーズものであるかのように装って集客を計ろうとしたのもわかる。
 
 が、主演のセガールが、そのつぎに本当に『Under Siege』の続編『Under Siege2』を作ってしまい、ややこしくなった。
 結果、正式の続編であるにもかかわらず、『沈黙の』という冠は与えられず、『Under Siege2』は『暴走特急』という独立した作品扱いとなった。
 
 つまり、関連作には関連性を感じられず、関連がない作品には関連性を感じるように名付けてしまったのだ。
 
 これ以降、セガール主演作には、関連性があろうがなかろうが『沈黙の○○』という邦題が多用されることになる。調べてみたら、テレビドラマも含まれていたものの、多すぎて笑った。
 
『沈黙の断崖』
『沈黙の陰謀』
『沈黙のテロリスト』
『沈黙の標的』
『沈黙の聖戦』
『沈黙の追撃』
『沈黙の脱獄』
『沈黙の傭兵』
『沈黙の奪還』
『沈黙のステルス』
『沈黙の激突』
『沈黙の報復』
『沈黙の逆襲』
『沈黙の鎮魂歌』
『沈黙の鉄拳』
『沈黙の復讐』
『沈黙の宿命』
『沈黙の啓示』
『沈黙の背信』
『沈黙の弾痕』
『沈黙の挽歌』
『沈黙の嵐』
『沈黙の絆』
『沈黙の掟』
『沈黙の牙』
『沈黙の炎』
『沈黙の刻』
『沈黙の魂』
『沈黙の監獄』
『沈黙の処刑軍団』
『沈黙の進撃』
『沈黙の制裁』
『沈黙の粛清』
 
 あ、読まずに画面をスクロールしたでしょ?
 いや、それでいいです。なにしろ、原題とまったく関係ないのだから。
 ここまでパターン化させるなんて、配給会社、楽な仕事してんなあ、と思ったら、『沈黙の鎮魂歌』などは、邦題を一般公募で選んだそうである。
 ほんのちょっと熟語を考えることすら、放棄した!
 
 
 

もう一捻りあってもよかったかもな映画

◆『Mad Max: Fury Road』
(マッド・マックス フューリー・ロード)
   ↓
◆『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)
 デスロード、という邦題は、過酷な状況が伝わりやすくていい。
 しかし、原題の「フューリー」という単語には、たんなる「怒り」ではなく、「怒り狂う女」という意味も含まれている。本作は「女のたくましさ」を強く描写しているので、そのニュアンスが消えてしまったのはもったいない。
 
 主人公のマックス以上に存在感を発したとされる、シャーリーズ・セロン演じるキャラクターの名が「フュリオサ(Furiosa)」であるのもその暗示。

 でも詰め込み過ぎもよくないから、そのままでいいのかも。

 

※読者の方から、この邦題は映画完成前につけられたという情報をいただいた。

 調べてみると、そういうことは多々あるらしく、邦題をつける側は、そうとうなプレッシャーと戦いながら考えているという。

 邦題というものの見方がすこし変わる興味深いエピソードだ。

 

 

◆『Aliens』

(エイリアンズ)

   ↓

◆『エイリアン2』(1986年) 

 続編なので「2」をつけるだけでいい。それはそうなのだが、「エイリアン」が複数形になった原題『エイリアンズ』は、「えっ、あいつらがたくさん!?」と恐怖をあおってくれる気がした。 

 

 

◆『THE ITALIAN JOB』
(ジ・イタリアン・ジョブ)
   ↓
◆『ミニミニ大作戦』1969年、2003年)
 原題はどう訳すのがベストなのか。「イタリアの流儀」とか? お決まりの言い回しなのだろうか。
 作品は粋でオシャレなクライム・ムービーなのだが、ちとコミカルに寄りすぎでは?
 ミニ・クーパーが大活躍するので、日本版タイトルに偽りはないのだが、ミニ・クーパーのファンにしか届かない気がする。
 
 
◆『We Bought a Zoo』
(ウィ・ボート・ア・ズー)
   ↓
◆『幸せへのキセキ』(2012年)
 原題「動物園を買った」だと語呂が悪すぎるのはわかるのだが、動物園を買うなんて行為、すごくない? それがよくある感動映画のキーワード「幸せ」「キセキ」で埋められてしまったのが残念。
 有川浩先生の『フリーター、家を買う。』みたいに、「マット・デイモン、動物園を買う」とかどうでしょ。
 
 
◆『Saving Private Ryan』
(セービング・プライベート・ライアン)
   ↓
◆『プライベート・ライアン』(1998年)
 当時の私は、「プライベート」が「二等兵」を意味しているとは知らず、ライアン君の「日常」を守ってあげる話かな? と誤解していた。
 語感的に、あんなハードな戦争映画とは察せなかった。 

 この映画以降、戦場の描写がリアルになりすぎて、私はスクリーンの前で弾丸をよけるようになった。

 

 

 監督が題名の変更を許さない方針だったせいで、ラノベみたいになった映画

 ◆『Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb』

(ドクター・ストレンジラブ・オア ハウ・アイ・ラーンド・トゥ・ストップ・ウォリーイング・アンド・ラブ・ザ・ボム)

   ↓ 

◆『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)

  一周まわって今風な感じがするのがすごい。 さすがは奇才にして巨匠、スタンリー・キューブリック監督。

 が、よく見ると正確な訳にはなっていない。サブタイトルは直訳だが、本タイトルは主人公の名前なので、そのまま「ストレンジラブ博士」とすべきなのだ。そこを無理やり訳したのは、配給会社による、意訳を許さない監督への抵抗だったのかも。

 

    *

 

【追記】映画の邦題問題、まだまだあります

かってに日本でつけたタイトルだと思ったら、原題もそうだった映画

◆『Ronin』

(ローニン)

   ↓

◆『RONIN』(1998年)

 冷戦崩壊後に役割を失った東西の特殊工作員の姿を、流浪する武士を意味する日本語「浪人」にたとえている。認知度のある日本語なのかは、知らない。

 ヨーロッパの古い街中でのカーチェイスシーンが新鮮、かつ好みだった。

 

 

読者の方からいただいだ気になる邦題

◆『An Officer and a Gentleman』

(アン・オフィサー・アンド・ア・ジェントルマン)

   ↓

◆『愛と青春の旅だち』(1982年)

 直訳、「士官と紳士」ではね。

 

 

◆『From Russia with Love』

(フロム・ロシア・ウィズ・ラブ)

   ↓

◆『007 危機一発』(1963年)

「危機一髪」の「髪」を「発」にしてるところがまたなんとも。のちに邦題が変えられることになった珍しい例であり、007 ロシアより愛をこめてになった。

 

 

◆『Up in the Air』

(アップ・イン・ジ・エアー)

   ↓

◆『マイレージ・マイライフ』(2009年)

 けっこう苦いラストなのだが、邦題だと軽い感じ。そのほうが観てもらえる可能性が高くなるとの判断か。

 

 

◆『Dead Poets Society』

(デッド・ポエッツ・ソサイエティ)

   ↓

◆『今を生きる』(1990年)

 こういう映画の主演を張っていたロビン・ウィリアムズがああいう最期を遂げられたというのは、なんとも悲しい。

 

 

◆『Brazil』

(ブラジル)

   ↓

◆『未来世紀ブラジル』(1986年)

 ブラジル、だけではきびしいですから。

 

 

◆『The Net』

(ザ・ネット)

   ↓

◆『ザ・インターネット』(1995年)

「ネット」を「インターネット」にするなら、「ザ」は「ジ」にしないと、英語の先生に注意されそう。

 

 

◆『Jerry Maguire』

(ジェリー・マグワイア)

   ↓

◆『ザ・エージェント』(1996年)

 でた。主人公の名前がタイトルのパターン。邦題をつけるのには賛成だが、「ザ」は「ジ」かな。

 

 

◆『The Interpreter』

(ジ・インタープリター)

   ↓

◆『ザ・インタープリター』(2005年)

 三連発。母音の前の「the」を「ジ」にしないというのは業界のお約束なのか。

The Sixth Sense(1999年)をシックス・センス としたのは、「th」の発音が日本人にはきびしいので妥当だとは思うが、「ジ」はいえる。語感重視ということなのかな。

 

 

『Låt den rätte komma in』(原題)

『Let the Right One In』(英語タイトル)

(レット・ザ・ライト・ワン・イン)

   ↓

『ぼくのエリ 200歳の少女』(2010年)

 スウェーデン映画。日本版はあるシーンにぼかしが入っているせいで、ものすごく重要な事実がわかりづらくなっている。

 このタイトルも、わかりにくさを助長しているというか、ミスリードしているというか。

 

     *

 

 ということで今回は、洋画の邦題について書いてみた。

 解釈が間違っているものがあれば、こっそり教えていただけると、いとうれし。

 

 私は、映画をたくさん観ることは観るのだが、たぶん「熱心な映画好き」ではない。

 面白い作品しか観たくない。が、趣味がずれているので、人のオススメに従うわけにもいかず、手当たりしだい観ることになる。

 正直、早く終われ、と念じながら観ていること多々。

 

     *

 

 漫画家志望者は漫画ばかり読んでないで映画を観ろ、とよくいわれるが、個人的にはこんなことを考えている。

 ほとんどの作家はたくさんの映画を観ていて、おのれの血肉にしているので、そんな人たちが描いた作品を読んでいるなら、自分も映画を観たことになるんじゃない?

 

 肉しか食べないが、牛は草を食べてるので、間接的に野菜は摂っている、というのとおなじ理屈。

 ダメかしら。

 たぶん、ダメだね。

 でも、好きで観たものじゃないと、吸収できない気がする。

 私自身、モノクロ時代の作品にまで手を出すことは、あまりない。人物の見分けがつかない・・・・・・。

 

 

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